双極症の治療はどう進化してきたのか? 第2回 「治った後」も治療する時代へ――リチウムが生んだ「再発予防」という考え方

シリーズ構成
本シリーズ「双極症の治療はどう進化してきたのか?」は、以下の全6回で構成しています。

「治った後」も治療する時代へ
――リチウムが生んだ「再発予防」という考え方
躁状態やうつ状態が治まった。それなら、治療は終わりなのでしょうか。
現在の双極症治療では、症状が落ち着いた後も、次のエピソードを防ぐことが大切だと考えられています。
しかし、この考え方が治療の中心に置かれるまでには、長い時間がかかりました。
この記事の要点
- かつての治療は、目の前の躁状態やうつ状態を改善することが中心でした。
- リチウムの登場により、症状がない時期にも治療を続け、再発を防ぐという考え方が生まれました。
- 気分安定薬の働きは、「躁・うつ」と「急性期治療・再発予防」を組み合わせた4つの作用で整理できます。
- ただし、すべての薬が4つの作用を同じように備えているわけではありません。
- 再発予防が臨床家や当事者に広く理解されるまでには、研究上・実践上の時間差がありました。
1.以前の治療目標は「いまの症状を治すこと」だった
双極症は、躁状態やうつ状態を繰り返す可能性のある病気です。しかし、効果的な治療手段が限られていた時代には、 精神科医療の主な対象は、症状が強く出ている入院患者でした。
激しい躁状態を落ち着かせる。深いうつ状態から回復させる。安全を確保し、退院できる状態にする。 これらは当時も現在も重要です。ただし、症状が治まった後に何をするかという視点は、現在ほど明確ではありませんでした。
2.リチウムが変えた治療の時間軸
1949年、オーストラリアの精神科医ジョン・ケイドは、リチウムが躁状態に有効である可能性を報告しました。 その後、モーエンス・ショウらによる研究を経て、リチウムは躁状態の治療薬として検討されていきます。
さらに重要だったのは、リチウムが目の前の躁状態を改善するだけでなく、長く続けることで、 将来の躁状態やうつ状態の再発を減らす可能性が示されたことです。
1967年のバーストラップとショウの報告は、治療の時間軸を大きく広げました。 症状が出てから治療するだけでなく、症状が落ち着いている時期にも治療を続け、次の再発を防ぐという発想です。
- それまで:躁状態・うつ状態が起きたら治療する
- 新しい考え方:落ち着いた状態を保ち、次のエピソードを予防する
3.再発予防の効果を証明するのは難しかった
急性期治療では、治療前後の症状を比較的短い期間で評価できます。一方、再発予防の研究では、 症状が落ち着いた人を長期間追跡し、再発したかどうかを確かめなければなりません。
双極症の経過には個人差があり、自然に安定する期間もあります。そのため、「薬によって再発が減った」のか、 「もともと再発しない時期だった」のかを区別するには、慎重な研究設計が必要です。
初期のリチウム研究をめぐっては、研究方法や倫理について議論が起こりました。その後、二重盲検試験などが行われ、 リチウムの再発予防効果が検証されていきました。新しい治療目標が定着するまでには、研究結果の蓄積が必要だったのです。
4.「気分安定薬」という概念の成立
リチウムは、当初は躁状態を治療する「抗躁薬」として受け止められていました。 しかし、再発予防への役割が明らかになるにつれ、一つの病相だけを抑える薬ではなく、 双極症の長期的な経過を安定させる薬として捉えられるようになります。
こうして広く用いられるようになったのが、気分安定薬(mood stabilizer)という呼び方です。 加藤忠史『双極性障害――病態の理解から治療戦略まで 第3版』によれば、英語文献で mood stabilizerという語が登場したのは1987年、日本語文献で「気分安定薬」という語が登場したのは1989年とされています。
ただし、呼び方が広まった後も、「どの作用を備えた薬を気分安定薬と呼ぶのか」について統一された定義が 確立したわけではありません。リチウムの再発予防効果が報告されてから、この言葉が使われるようになるまでにも、 さらに定義をめぐる議論が続くまでにも、長い時間がありました。
5.気分安定薬の4つの働き――2×2定義
気分安定薬に期待される作用は、二つの病相と二つの治療段階を組み合わせると、4つに整理できます。 加藤忠史『双極性障害』では、この整理を「2×2定義」として紹介しています。
| 病相 | 急性期の治療 いまの症状を改善する |
再発予防 将来のエピソードを防ぐ |
|---|---|---|
| 躁 | ① 急性躁症状の治療躁状態を改善する | ③ 躁症状の予防躁状態の再発を防ぐ |
| うつ | ② 急性うつ症状の治療うつ状態を改善する | ④ うつ症状の予防うつ状態の再発を防ぐ |
この4つすべてに有効であることを求めるのが、同書に示された厳密な2×2定義です。しかし、実際には薬によって、 躁状態を改善するのが得意、うつ状態の再発予防が得意、というように役割が異なります。
同書では、より緩やかな定義として、「いずれかのエピソードの頻度または重症度を減らし、 他のタイプのエピソードを悪化させない薬」という考え方も紹介されています。 また、同書が取り上げたリチウム、バルプロ酸、カルバマゼピン、ラモトリギンについて、同書刊行時点の評価では、 厳密な2×2基準を満たし得るのはリチウムのみと説明されています。
「気分安定薬」は、薬の作用を理解するうえで便利な呼び方です。一方で、含める薬の範囲や必要な作用については、 研究者の間でも議論が続いてきました。近年は、従来の薬効群名だけでなく、薬が主にどの神経系へ作用するかを示す 名称体系も提案されています。したがって、名称だけで判断せず、どの病相のどの段階に使う薬なのかを確認することが大切です。
すべての薬が、躁・うつの急性期治療と再発予防の4領域に、同じように有効なわけではありません。 実際の選択では、その人が経験しやすい病相、過去の効果、副作用、身体状態、妊娠可能性、併用薬などを踏まえ、 主治医と相談する必要があります。
6.言葉が生まれても、治療観はすぐには変わらなかった
再発予防の効果が報告され、「気分安定薬」という言葉が使われるようになっても、 それだけで臨床現場や当事者の治療観が一斉に変わったわけではありません。
臨床家にとっての時間差
精神科医療は、長い間、強い症状への急性期対応を中心に発展してきました。 再発予防には長期的な観察が必要で、薬の有効性だけでなく、血中濃度、副作用、身体状態、服薬継続なども確認しなければなりません。 急性期中心の治療から、長期経過を見渡す治療へ移るには、知識だけでなく診療の仕組みも変える必要がありました。
当事者にとっての時間差
症状が落ち着いた人にとって、「元気なのになぜ薬を続けるのか」という疑問は自然です。 しかも、再発予防の効果は、何も起こらなかったという形で現れます。効いていることを本人が実感しにくく、 副作用や通院の負担は目の前にあります。
そのため、再発予防という考え方が本当に機能するには、薬を処方するだけでは足りません。 病気の経過、治療の目的、薬ごとの役割、期待できる効果と限界を、本人が理解し、納得できる形で共有する必要があります。
7.再発予防は、心理教育の必要性を生んだ
目の前の症状を治療するだけなら、治療の中心は医療者の判断になりやすいでしょう。 しかし、再発予防は日常生活の中で長く続きます。そこで重要になるのが、当事者自身の参加です。
| 再発予防で扱うこと | 当事者ができること |
|---|---|
| 薬物療法 | 目的や副作用を理解し、困ったことを主治医・薬剤師に相談する |
| 睡眠・生活リズム | 自分の変化を記録し、無理の続く時期に早く気づく |
| 早期兆候 | 「いつもと違う」サインを整理し、早めに相談する |
| 再発予防プラン | 本人・家族・医療者で、調子が変わったときの対応を決めておく |
心理教育は、単に「薬を忘れずに飲みましょう」と伝えるものではありません。 なぜ治療を続けるのか、何を目標にするのか、負担や迷いをどう相談するのかを、本人と医療者が一緒に考えるための土台です。
8.まとめ――治療は「治った後」へ広がった
- 双極症治療は、当初、目の前の躁状態やうつ状態を改善することが中心でした。
- リチウムの登場により、長期的に服用して再発を防ぐという新しい治療目標が生まれました。
- 気分安定薬の作用は、躁・うつと急性期治療・再発予防を組み合わせた「2×2」で整理できます。
- すべての薬が4つの作用を同じように持つわけではなく、薬ごとに得意な役割があります。
- 再発予防が定着するには、長期研究の蓄積だけでなく、臨床家と当事者の治療観の変化が必要でした。
- 再発予防は、服薬だけでなく、記録、早期相談、生活上の工夫、心理教育を含む取り組みへ広がっていきました。
症状が落ち着いた後に治療を続けるのは、「まだ治っていないから」だけではありません。 安定した状態を守り、次の大きな波を防ぎ、その人の生活を守るという治療目標があるためです。
次回予告
再発予防という目標が生まれると、薬だけでなく、本人の生活、気づき、対処が重要になります。 次回は、薬物療法だけでは届かない再発予防と、心理社会的支援・心理教育の発展をたどります。
参考文献・参考資料
- 加藤忠史.『双極性障害――病態の理解から治療戦略まで 第3版』医学書院.気分安定薬および2×2定義の解説、213–214頁。
- Goodwin FK, Jamison KKR. Manic-Depressive Illness: Bipolar Disorders and Recurrent Depression. 2nd ed. Oxford University Press; 2007.(同書 文献9)
- 加藤忠史.序文 気分安定薬とは何か――現状と課題.臨床精神医学. 2008;37:869–873.(同書 文献418)
- Goodwin GM, Malhi GS. What is a mood stabilizer? Psychological Medicine. 2007;37:609–614.(同書 文献419)
- Bauer MS, Mitchner L. What is a “mood stabilizer”? An evidence-based response. American Journal of Psychiatry. 2004;161:3–18.(同書 文献208)
- Malhi GS, Chengappa KNR. Why ‘mood stabilizer’ needs stability: polar views on its utility. Bipolar Disorders. 2017;19:414–416.(同書 文献420)
- Zohar J, et al. A review of the current nomenclature for psychotropic agents and an introduction to the Neuroscience-based Nomenclature. European Neuropsychopharmacology. 2015;25:2318–2325.(同書 文献421)
- Cade JFJ. Lithium salts in the treatment of psychotic excitement. Med J Aust. 1949;2:349–352.
- Schou M, Juel-Nielsen N, Strömgren E, Voldby H. The treatment of manic psychoses by the administration of lithium salts. J Neurol Neurosurg Psychiatry. 1954;17:250–260.
- Baastrup PC, Schou M. Lithium as a prophylactic agent: its effect against recurrent depressions and manic-depressive psychosis. Arch Gen Psychiatry. 1967;16(2):162–172.
- Malhi GS, et al. Defining a mood stabiliser: novel framework for research and clinical practice. BJPsych Open. 2018;4(4):278–281.
- 日本うつ病学会.日本うつ病学会診療ガイドライン 双極性障害(双極症)2023/一般の方・当事者向けガイド「双極症とつきあうために」Ver.11.
双極症の動画図書館シリーズについて
双極症の動画図書館シリーズは、YouTube動画とWeb解説コラムで構成しています。
- YouTube動画はテーマごとに要点を5分程度の短い動画でまとめています。
- Web解説コラムはYouTube動画と対応して、動画の解説、補足説明をしています。


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