双極症の心理教育:NGワードを超えて「なぜ」を考える 第5回 当事者同士なのに、なぜ分かり合えないことがあるのか?


NPO法人ネット心理教育ピアサポート 副理事長
認定専門公認心理師
社会福祉士
国際双極症学会 評議員
木野内南(布団ちゃん)

NPO法人ネット心理教育ピアサポート 理事長
薬剤師
藤田剛(窓師)
NGワードを超えて、「なぜ」を学ぶ 第5回
「私も同じ病気だから分かる」が、すれ違いを生むとき
双極症やうつ病についてSNSを見ていると、不思議に思うことがあります。
同じ病気を経験している人同士なのだから、お互いのつらさを理解しやすいはずです。
実際、
「私もそうだった」
「その気持ちは分かる」
という言葉に救われた経験を持つ人は少なくないでしょう。
これは、ピアサポートの大きな力の一つです。
ところが一方で、当事者同士だからこそ生じる厳しい言葉もあります。
「そんなのはうつじゃない」
「本当の躁はそんなものじゃない」
「その程度でつらいと言わないで」
「私はもっとひどかった」
「双極症ならそんなことはできないはず」
なぜでしょう。
同じ病気を経験していることは、本当に相手を理解することにつながるのでしょうか。
1.「同じ病名」と「同じ経験」は違います
まず、最も基本的なところから考えてみます。
同じ「双極症」という診断でも、その人が経験していることは同じではありません。
- Ⅰ型とⅡ型でも違います。
- 躁・軽躁・抑うつの現れ方も違います。
- 症状の強さ、頻度、持続期間も違います。
- 薬の効き方や副作用も違います。
- 仕事、家族、経済状況、周囲から得られる支援も違います。
- 病気によって何を失い、何に苦しんだかも違います。
つまり、
同じ病名を持っていることと、同じ病気を経験していることは同じではありません。
ここが出発点です。
2.「私も経験したから分かる」が危険になることがある
これは少し逆説的です。
病気を経験していない人は、
「自分には分からないことがある」
と思います。だから、相手の話を聞こうとします。
ところが、自分も同じ病気を経験していると、
「私は知っている」
と思いやすくなります。
これは自然なことです。
そして、
「私がうつだった時は……」
という自分の経験を基準に、相手を見るようになります。
すると、たとえば次のような推論が生まれます。
私のうつでは外出できなかった
↓
この人は旅行している
↓
本当にうつなのだろうか?
しかし、この推論には大きな飛躍があります。
「私のうつ」と「あなたのうつ」が同じである、という前提です。
3.ケース:「そんなのはうつじゃない」
ある人がSNSに書きました。
「うつがひどくて仕事には行けない。でも今日は友人と食事に行けた。」
それを見た、うつ病を経験した人が言います。
「食事に行けるなら、本当のうつじゃないと思う。」
なぜ、この言葉が出るのでしょうか
単なる意地悪とは限りません。
言った側には、
「私は本当に何もできなかった」
「ベッドから起き上がることすらできなかった」
「それほど苦しいのが、私にとってのうつだった」
という、自分自身の強烈な経験があります。
だからこそ、
「私が経験したものと違う」
と感じます。
ここまでは問題ありません。
問題は、その次です。
「私の経験と違う」
↓
「だから、あなたの経験は間違っている」
へ進んでしまうことです。
4.比較が「つらさのランキング」になる
当事者同士のコミュニケーションでは、ときどき不思議な競争が起こります。
「私は3か月入院した」
「私はもっと長かった」
「私は仕事を失った」
「私は家族まで失った」
もちろん、経験を語ること自体には問題ありません。
自分の経験を話すことは、ピアサポートの大切な要素でもあります。
しかし、それが、
「誰が一番つらかったのか」
を決める競争になると、ピアサポートとは違うものになります。
そもそも、つらさは簡単に比較できません。
同じ出来事でも、その人の人生の中で持つ意味は違います。
あなたの苦しみが大きかったことを証明するために、他人の苦しみを小さくする必要はありません。
5.なぜ他人の経験を否定したくなるのか
もう少し踏み込んで考えてみます。
「そんなのはうつじゃない」という言葉の裏には、単なる医学的な誤解だけでなく、話し手自身の経験を守ろうとする心理が含まれていることもあるかもしれません。
たとえば、
「私はあれほど苦しかった」
という経験があります。
そこへ、自分より元気に見える人が同じ「うつ」という言葉を使います。
すると、
「自分のあの苦しみまで軽く扱われるのではないか」
という感覚が生じることがあります。
つまり、
相手の病気を否定することで、自分の病気の深刻さを守ろうとしている
可能性があります。
もちろん、これはすべての人に当てはまると断定できるものではありません。
ただ、「なぜそこまで相手を否定したくなるのだろう」と考える時の、一つの視点にはなります。
6.双極症では「自分の経験」がさらに基準になりやすい
双極症は、とても幅の広い病気です。
それだけに、自分の経験を「双極症とはこういうものだ」という一般論にしてしまうと、すれ違いが生まれやすくなります。
たとえば、
「躁なら本人は絶対に病気だと気づかない」
「躁なら楽しいはず」
「軽躁なら仕事ができるはず」
「うつなら何もできないはず」
といった考えです。
自分の経験としては、その通りだったのかもしれません。
しかし、それを他のすべての人へ当てはめることはできません。
ここでも大切なのは、
「私はそうだった」
と、
「双極症なら、みんなそうだ」
を分けることです。
7.「当事者だから正しい」とも限りません
ここは少しデリケートですが、とても大切なポイントです。
当事者の経験には、専門書や診療ガイドラインだけでは分からない大きな価値があります。
自分に何が起き、何がつらく、何が役立ったかについては、本人の経験が重要な情報です。
一方で、
経験があることと、その病気全体について医学的に正確な知識を持っていることは別です。
自分に起きたことについては、自分自身が最も重要な証言者です。
しかし、
「だから双極症とはこういう病気だ」
と一般化した瞬間、それは個人の経験ではなく、病気全体についての主張になります。
| 発言 | 考え方 |
|---|---|
| 「私はこの薬で眠くなった」 | 本人の経験として尊重する |
| 「この薬はみんな眠くなる」 | 一般化なので、別の根拠が必要 |
| 「私はうつの時、外出できなかった」 | 本人の経験 |
| 「外出できる人はうつではない」 | 他者への医学的判断になっている |
| 「私は軽躁の時、自覚がなかった」 | 本人の経験 |
| 「軽躁なら自覚できない」 | 一般化なので注意が必要 |
経験知の価値を尊重することと、経験知を無制限に一般化しないことは両立します。
8.「分かる」より「似た経験がある」
ピアサポートでは、
「分かるよ」
という言葉に救われることがあります。
一方で、本当に相手と全く同じ経験をしているわけではありません。「あなたに分かるわけがない」と反発を招くこともあります。
そこで、少しだけ考え方を変えてみます。
「私にも似た経験がある」
と考えてみてはどうでしょう?
この言葉には、
- 私の経験とあなたの経験には共通点がある。
- でも、違うところもあるだろう。
- だから、あなたの話をもう少し聞いてみたい。
という余地があります。
「分からなさを残した共感」
これは、当事者同士のコミュニケーションでは、とても大切な姿勢かもしれません。
9.当事者同士だからこそ、言葉が強く刺さる
医療者や一般の人から否定されることもつらいものです。
しかし、同じ病気を経験している人から否定された時には、それとは違う傷つき方をすることがあります。
なぜなら、
「この人なら分かってくれると思った」
という期待があるからです。
つまり、
共感への期待が大きいほど、否定された時の失望も大きくなることがあります。
当事者同士だから何を言っても許されるわけではありません。
むしろ、同じ病気を経験しているからこそ、慎重に扱ったほうがよい言葉があります。
10.では、どう言えばよいのでしょうか
「そんなのはうつじゃない」と思った時に、その違和感そのものを否定する必要はありません。
実際、自分の経験とは大きく違って見えるのでしょう。
そこで、
「私のうつとはかなり違うんだね」
までで、一度止めます。
そして、
「あなたの場合は、どんな時が一番つらいの?」
と聞いてみます。
あるいは、
「私はうつの時には外出できなかったから、少し意外だった。でも、症状の出方は人によって違うんだね」
でもよいでしょう。
違和感を持ってはいけないのではありません。違和感を、そのまま相手の否定に変換しない。
ここが重要です。
「同病相憐れむ」の一歩先へ
「同じ病気だから分かり合える」。
これは、ピアサポートの大きな力です。
しかし同時に、
「同じ病気なのだから、あなたも私と同じはずだ」
という危険も含んでいます。
だからこそ、
「同じだから分かる」から、
「同じところも、違うところもあるから聞いてみる」へ。
この転換が必要なのだと思います。
同じ病気を経験したからこそ、分かることがあります。
そして、同じ病気を経験したからこそ、
「自分とは違う経験もある」
と知ることもできます。
この第5回が「NGワードを超えて」に加わる意味
これまでのシリーズでは、主として周囲の人から当事者への言葉かけを考えてきました。
第5回では、初めて、
当事者から当事者へのコミュニケーション
を考えます。
ここで見えてくるのは、立場が同じであることと、理解が同じであることは別だということです。
そして、シリーズ全体の原則にも戻ってきます。
「誰が話すか」だけではなく、
- 自分の経験を相手に押しつけていないか。
- 相手の経験を聞く余地を残しているか。
- 伝えたいことは妥当か。
- その言葉は相手にどう聞こえるか。
- うまく伝わらなかった時に、言い直せるか。
NGワードを覚えることが目的ではありません。
「私は知っている」と思った時こそ、もう一度相手の話を聞いてみる。
それが、当事者同士のコミュニケーションをより豊かなものにするのではないでしょうか。
うつの人に言ってはいけない言葉、躁の人に言ってはいけない言葉。ネットや巷にはそういった情報がたくさん溢れています。ではどうしてその言葉を言ってはいけないのでしょうか?
このコラムのシリーズでは、「なぜいけないのか」について深く分析しています。
双極症の方は、躁/軽躁状態、抑うつ状態、混合状態、寛解状態と気分の状態が変化します。気分の状態に応じて周囲がかける言葉も違ってきます。言葉がけとは単に一方通行の言葉の投げ付けではありません。言葉を発する側、言葉を受け止める側、この双方のコミュニケーションに齟齬が生じた時「言ってはいけない言葉」が生まれるのではないでしょうか? そんな視点からこのシリーズを読んでいただければ幸いです。
今回は、このシリーズの最終回として、心理学的な理論分析を踏まえたコミュニケーションの考え方を解説します。「一つ一つの言葉が使ってよいのか悪いのか」を超えて、どのような人間関係が全ての人にとっての幸せなのか、一つの答えとして提示します。
ここから先は、読んでいただいた方それぞれの解釈になると思いますが、出発点としてとらえていただければこれ以上の喜びはありません。
コミュニケーションは、話し手だけの技術ではありません。
話し手と受け手の間で意味を作り、確かめ、必要なら作り直していく過程です。
双極症では、病状によって、言葉の伝え方や受け取り方が変わることがあります。だからこそ、「正しい一言」を探し続けるよりも、次のように考えることが大切です。
今、この人には、どのように聞こえただろう。
本当に伝えたかったことは、届いただろうか。
届かなかったなら、もう一度伝え直せるだろうか。
NGワードを覚えることが、このシリーズの目的ではありません。
相手を理解しようとする気持ちを持ち続けること。自分の気持ちや限界も大切にすること。秩序つ、伝わらなかった時に、言い直し、聞き直し、関係を修復できること。
それが、「NGワードを超えて、『なぜ』を学ぶ」ということです。
会話を開きやすい言葉と、対立を生みやすい言葉
ここで、当事者同士の会話で比較的共感につながりやすい言葉と、 対立を生みやすい言葉を比べてみましょう。
ただし、これは「良い言葉」「悪い言葉」の一覧ではありません。 同じ言葉でも、相手との関係や状況によって受け止め方は変わります。
大切なのは、相手の経験を決めつけず、会話を続けられる余地を残しているかです。
| シチュエーション | 会話を開きやすい言葉 | 対立を生みやすい言葉 | 違いは何か |
|---|---|---|---|
| 症状が自分と違う | 「私とはずいぶん違うんだね」 | 「そんなのはうつじゃない」 | 違いを発見するか、相手の経験を否定するか |
| 似た経験を聞いた | 「私にも似た経験があるよ」 | 「分かる分かる。私も全く同じ」 | 相手との違いを残しているか |
| 相手がつらさを語る | 「それはつらかったね」 | 「私の時はもっとひどかった」 | 共感するか、つらさを比較するか |
| 症状に疑問を感じる | 「そういうこともあるんだね」 | 「本当に双極症なの?」 | 興味を持って聞くか、相手を審査するか |
| 相手の行動が理解できない | 「その時はどんな感じだった?」 | 「うつなのに、よくそんなことできるね」 | 背景を尋ねるか、矛盾を追及するか |
| 自分の経験を伝える | 「私はこうだったけど、人によって違うよね」 | 「双極症って普通こうだよ」 | 経験として語るか、一般化するか |
| 治療について話す | 「私はこれが合ったよ」 | 「その薬はやめた方がいい」 | 経験を共有するか、他者の治療を判断するか |
| 回復しているように見える | 「最近どう? 前と変わった?」 | 「その程度ならもう治ってるでしょ」 | 本人の実感を尋ねるか、外から決めるか |
| 相手の考えに違和感がある | 「私は少し違う経験だった」 | 「それは間違ってる」 | 自分を主語にするか、相手を裁定するか |
| よく分からない | 「そこ、もう少し聞いてもいい?」 | 「意味が分からない」 | 理解しようとするか、理解不能として会話を閉じるか |
共通しているのは「まだ全部は分からない」という姿勢
左側の言葉には、共通しているものがあります。
「私は、あなたのことをまだ全部は分かっていない」
という前提です。
一方、右側の言葉には、
「私は、あなたがどういう状態なのかもう分かっている」
という前提が入りやすくなります。
「そんなのはうつじゃない」も、 「本当の躁はそんなものじゃない」も、 単に表現がきついから問題なのではありません。
相手の経験の意味を、相手の話を十分に聞く前に決めてしまっている。
そこに、すれ違いが生まれます。
「共感」の反対は、冷たさだけではありません
当事者同士のコミュニケーションでは、もう一つ注意したいことがあります。
相手に無関心だから理解できないとは限りません。 むしろ、
「分かる。私も経験者だから」
という強すぎる共感が、相手を理解する妨げになることがあります。
「私は分かる」
↓
「あなたも私と同じだ」
↓
「私と違うあなたはおかしい」
という逆転です。
だからこそ、当事者同士のコミュニケーションでは、
「分からなさを残した共感」
が大切なのかもしれません。
「あなたのことは分からない」と突き放すのでもなく、 「あなたのことは全部分かる」と決めつけるのでもありません。
「私にも似た経験があるから、少し分かるところがある。
でも、あなたの経験はあなたのものだから、もう少し聞いてみたい。」
そのくらいの距離感が、ピアサポートではちょうどよいのかもしれません。
「魔法の言葉」が共感を生むわけではありません
結局のところ、「この言葉を使えば必ず共感が得られる」という 魔法の言葉があるわけではありません。
相手の経験を決めつけず、 自分の経験との違いを認め、 もう少し聞いてみようとする。
その姿勢が言葉に表れた時、 結果として会話が開かれ、共感につながりやすくなります。
「正しい言葉」を探すより、 「相手の話をまだ聞ける言葉」を選ぶ。
これも、「NGワードを超えて」というシリーズで考えてきた コミュニケーションの大切なポイントです。
以上、優しい世界を生きることの一助となれば幸いです。(木野内南)
参考資料
- 日本うつ病学会 気分障害の治療ガイドライン検討委員会 双極性障害委員会.『日本うつ病学会診療ガイドライン 双極性障害(双極症)2023』.
https://www.secretariat.ne.jp/jsmd/iinkai/katsudou/data/guideline_sokyoku2023.pdf - 日本うつ病学会.一般の方・当事者向けガイド「双極症とつきあうために」.
https://www.secretariat.ne.jp/jsmd/iinkai/katsudou/kibun.html - National Institute for Health and Care Excellence. Bipolar disorder: assessment and management(CG185).
https://www.nice.org.uk/guidance/cg185 - National Institute for Health and Care Excellence. Shared decision making(NG197).
https://www.nice.org.uk/guidance/ng197
※本稿は、双極症に関する一般的な心理教育とコミュニケーションの考え方を示すものです。個別の診断、治療、危機的状況への対応については、主治医などの医療専門職へご相談ください。「死にたい」「受診したくない」など、安全確保を優先すべき場面については、本シリーズとは分けて別途扱います。
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